日本語のうつくしさよ ~梨木香歩「家守綺譚」


私の持っているのは文庫版だが、ハードカバーの装丁のほうが好きなのでそちらを。

こういう小説を読むと、日本語って素晴らしい…とつくづく思う。

台詞一つとっても、古き良き文学のかほりが漂っていて、いちいちうっとりする。


この話の舞台は、学士・綿貫征四郎が住まっている二階屋である。
そこは元は友人・高堂の生家であり、彼の死後、家の手入れをすることを条件に綿貫が暮らしているのだ。
この家には様々なおかしなものたちが集まってくる。
タダモノではない犬のゴローに始まり、河童に人魚に小鬼。
サルスベリの木に惚れられたり、桜の精に挨拶されたり、とにかく綿貫は忙しい。
そして友人の高堂は、死んでからも部屋の掛け軸の中からボートに乗って時々やってくるのである。

こんな突拍子もないできごとが、日常と同じレベルで淡々と描かれている。
綿貫も驚きはするが、結局はごく当たり前に受け入れている。
日常と怪異とが同居するこのような暮らしが、かつての時代には存在していたのではないか…ふとそんな風に思いを馳せてみたりする。

で、綿貫は死んだ高堂と再会するのだが(もちろん死んだままの友人とである)、その時の会話が、


――どうした高堂。
私は思わず声をかけた。
――逝ってしまったのではなかったのか。
――なに、雨に紛れて漕いできたのだ。



それだけかい!?とつっこみたくなるが、これでいいのだ。

そして、最終章の「葡萄」にて、綿貫は夢で高堂が行った処へ行くのだが、このラストがまた上手い。
最後の一行を読んで、満ち足りた気持ちで本を閉じる時の幸福感といったら。

やっぱり、いかに終わるかというところで、その作品の価値は決まると思った。




蛇足。
これを初読したときちょうど短歌にハマっていたので、しょうもないのを詠んでみたりしていた。


やはらかな光を抱きとむるように暇を乞ひていま一度死す


この記事へのコメント


この記事へのトラックバック