また会ひませう ~萩野貞樹「旧かなづかひで書く日本語」

1215

旧かなづかいは好きです。理由はなんだかオシャレだし見た目に美しいから。…すごく頭の悪そうな理由ですみません。


それに可愛らしかったりする。「~ましょう」を「~ませう」と書いたりすると、一気にレトロな可愛さが出ませんかね。
あと、初期の椎名林檎がよく使っていたし。「何卒~」とか最近は言わなくなったね。
林檎ちゃんに狂っていた時期はそういうのにとても憧れたものです。
古文の授業もそんな嫌いじゃなかったし、大学でもいちおう国文(中世~近世文学)をやってた。
学んだことのほとんどは、今や忘却の彼方ですが。


そんな流れで、こんな本を読んでみました。
旧かなづかいは楽しいので皆さんどんどん使いましょう! という内容の本で、実際に奥付と巻末広告以外はすべて旧かなづかいで書かれてます。
広告部分とかはさすがにムリだったみたい。どうせなら旧かなの広告も見てみたかった。



といふ訳なので、ここからは試しに私も旧かなづかひで感想を書いてみようと思ひます。
用法とか間違つてるかもしれません。何しろ古文を勉強してたのなんて○年も前なので…間違つてゝも怒らないでくださいね…。あとやつぱりちよつと読みにくいかもです。


で、この「旧かなづかひで書く日本語」。
最初の方は上一段活用とか「こ・き・く・くる・くれ・こよ」とか、それこそ古典の授業で習つたやうな話が出てきて、懐かしくはあるけれどいかにもお勉強チツクで読み進むのに少し時間がかゝりました。
呪文のやうに唱へては覚えたなあ…。
面白く、といふかページをめくる手が早くなつてくるのは後半です。
何故かといふと、著者の萩野さんの論調がだんだんヒートアツプしてくるからです。


萩野さんは、新かなづかひ(つまり現代私たちが使ってゐるかなづかひ)がとりあへず大・大・大嫌ひらしいです。
なので、戦後に新かなづかひの使用を提唱した人たちのことが許せないやうです。
むろん国語学の専門家でいらつしやるので、やみくもに嫌ひといつてるわけではなく、ちやんとした理由がある。
読んでなるほどと納得できる箇所もあるんだけど、萩野さんの書き方があまりにも攻撃的で、そつちのほうが気になつちやいます。
もうめちやめちや筆がノツてるよ…。面白い、と言つちやうと萩野さんをバカにしてるやうに聞こえるかもだけどそんな気はなく、むしろ彼の人柄が透けて見えて好感が持てる。


この人は旧かなや舊字(「戀」とか「學」とかさういふ漢字)がないがしろにされてきたことについて、ほんとに腹を立てゝらつしやるんだなあ、といふのが伝はつてくる。
売られたケンカは買ふ気まんまんなんだらうなあ。といふか自分からケンカを売つてるなあこれは。


国語の教科書に載つていた「山月記」や「羅生門」は原文のかなづかひや漢字を改変されたものだつた、なんてことは知らなかつたし、意識すらしたことがなかつた。
「つ」を「っ」に、「ゐ」を「い」に変へる位ならまあ許せるけど(萩野さんにしてみればこれも当然許せない範疇なわけですが)、「叢」を「草むら」に、「唯」を「ただ」に変へたりするのは、確かにちよつと原作破壊な気がしないでもない。
作家はやつぱり字面や見た目のバランスも考へて言葉を選んでるんだらうし、中島敦や芥川がもし生きてたら怒るんぢやないかなと思ふ。
生きてる人なら長野まゆみとかも、ものすごく怒りさう。


最後の方に、国語問題についての論争の中での、ちよつと変はつた意見が少しだけ紹介されてゐる。
その中に、「漢字を全廃しよう!」と高らかに宣言してゐるのに、その宣言の文章に思ひつきり漢字が使はれてゐる論文があつて、ちよつと笑つてしまつた。え…これギヤグ?


英語も満足に喋れないし、他の国の言語もほとんど知らない口で言つても説得力はないけど、日本語つてとても美しい言葉だと思ふし、日本語が母国語でよかつたなあと普通に思ふ。
だから、旧かなづかひが廃れてしまつて古典文学が読めなくなる日が来るのはイヤだし、萩野さんのやうにかうやつて真剣に怒つてくれる人がゐるのは大事なことだと思ひます。


さういふ思ひも込めて今回旧かなづかひでやつてみたのですが…もう力尽きてきました。
文章を考へるのになんかすごい時間がかゝつた…。といふ訳でこの本の感想を満足に伝へられないまま終わらうとしてゐます。
でも、たまにはこんなのもいゝか。


この記事へのコメント


この記事へのトラックバック