誠心誠意、命がけ ~浅田次郎「プリズンホテル 1 夏」



そんなに著作をたくさん読んではいないのだけれど、浅田次郎といえば、高校時代に読んだ「蒼穹の昴」がお初だった。
大学受験がひとまず無事に終わり、晴れて読書断ちが明けたとき、物語に飢えていた私が図書館で手にとったのが「蒼穹の昴」。
贅沢に時間を使って、むさぼるように読んだ。感動した。その年に読んだ本のなかではダントツで1番をつけた。
その何年か後に文庫本になったとき、もちろん買った。再読した「蒼穹の昴」はやっぱり面白かったけど、それでも高校のときに読んだほどではない気がした。
あの頃の私とは何かが変わってしまったんだなと、少し寂しい思いがした。


何事にも「時期」というのがありますけど、本にも出会うべき時期、そうじゃない時期、というのが確実に存在しますよね、という前説(笑)でした。
その時期を見誤らないようにしたいと思う。願わくは、本とは常に幸福な出会いを!


ナツイチの帯につられて、「プリズンホテル」シリーズを読破しようと久しぶりに浅田さんの小説を買ってみました。
山深くにひっそりとたたずむ「奥湯元あじさいホテル」。しかし、人はそれを「プリズンホテル」と呼ぶ…。
そこはヤクザの親分がオーナーをつとめる、「任侠団体専用」のホテルだったのである。
そんなホテルに何故か集ってしまったのは、老夫婦に心中志願の家族、偏屈な小説家に実直なホテルマンと天才シェフ、謎の旅人になんと幽霊まで!?
繰り広げられるのは、奇妙な大騒動と、そして爽快な大団円。
スペシャル・ツアーの始まりです。


浅田さんは何というか、文章が格段に巧いという印象です。
奇抜さのないすっきりした文体で、可笑しさも悲しさも、下世話なこともハートフルなことも、鮮やかに描き出してくれる。無駄がないという美しさ。


 男は右手をふところからスッと抜き上げた。片肌に白虎の入墨が浮き上がった。
 刺客の咽元にいっそう銃口がねじこまれた。清子に向かって、どこか遠い場所からそうするように、満面で笑い返すと、政男は少しもためらうことなく、突然、引金を引いたのだった。



緊迫した、衝撃的なシーンでありながら、「どこか遠い場所からそうするように、満面で笑い返す」という政男の行為が、どうしようもない哀しさを際立たせている気がして、ああ綺麗だなぁと思ってしまった。


 抜けるような青空にエイと飛び上がって紙吹雪を投げると、それはちりぢりに、白や薄桃や紫色の淡やかな花のいろになって、風に運ばれて行った。
 ホテルまで飛んで行って、きっと一株のあじさいになるんだわと、若林夫人は少女のように、そう思った。



仕事にしか興味のない、魅力を感じられない夫に長年つき従ってきた若林夫人の心が解き放たれた様子を、こんなふうに軽やかに書いちゃうなんて。
ある決意を秘めてホテルを訪れた夫人が、ホテルを出るときには全く違う決意を胸に抱いている。それはあじさいのように、清楚で優しい色をしているんだろうなぁ。


続けて「秋」も読みたいです。
最後に。梶板長は、かっこ良すぎますね!


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