物語は救いか ~伊坂幸太郎「SOSの猿」



ひきこもりの青年の「悪魔祓い」を依頼された男――「私の話」と、
一瞬にして300億円を損失した株誤発注事故の原因を調査する男――「猿の話」とが並行して語られる長編小説。
最初は「???」がいっぱい頭の中を点滅している感じだったけれど、
だんだんと、てんでの方向を向いていた話がつながっていくのは快感でした。



やっぱ孫悟空の名乗りはかっこいいな! と、本筋とは関係ないこと(笑)をすごく思ったりした。「東勝神洲傲来国は、花果山の生まれ…」っていうやつ。
「西遊記」を無性に読みたくなりますね。
私が覚えている西遊記は、小学校の図書室にあった子ども向けに翻訳されたよみもので、確かかわいい挿絵がついていた。
あれをもう一度読みたいなあ。出版社も何も覚えてないし、探すのは難しいかなあ。
あとは、「のび太のパラレル西遊記」(笑)



印象に残ったのは、雁子さんの「作り話の効力」についての話。


「現実には分からない誰かの出来事を想像して、でっちあげて、ドラマを想うわけ。
どうしても分かんないことは頭の中で物語を作って、それで納得するのよ。
『あの悪者はバチが当たったでしょう』とか、『あの親子は今も平和に暮らしていることでしょう』とかね」


その場合、実際にはどうなのか、ということは問題ではないわけですね。
たとえば過去のこととか。それを知りたくても知ることができない、変えたくても変えられない状況で。
どうにもならないのに、自分の中でモヤモヤして収まらないことって結構ある。
でもそんなことばかり考えていたら生活していけないから、どうにか折り合いをつけて納得するために、物語を創造して、めでたしめでたしで終わらせる。



これって、社会生活を営む上で、すんごく重要な処世術だと思う。
それがうまくできない人間が、ここに出てくる眞人君だったり遠藤二郎だったりするのかな。
眞人君はひきこもってヘンテコなことになってしまうし、遠藤は他人の発するSOSを無差別にキャッチしてしまう。
遠藤は、この世界にどうにもならないことがあるってことを、ガマンできない人なのかなと思った。



だから遠藤には少し憧れます。
自分はどんどん、鈍感に鈍感になろうとしていってるような気がするから。
警告メッセージに慣れてしまうこととか。



あとはひとりごと。




 


最近、伊坂作品を純粋な気持ちで楽しめなくなっているような気がしてならない。
もちろん好きなんですけど。「陽気なギャング」シリーズなんて超痛快だし、こないだ映画になった「ゴールデンスランバー」も大傑作だと思うし。
でも、いまだに一番好きと言えるのって、初めに読んだ「アヒルと鴨のコインロッカー」なんですよね。
前評判も知らず、伊坂幸太郎という名前すら聞いたことがなかった頃、
ただ図書館の新着コーナーにあったからというだけの理由で手にとったこの作品から、受けた衝撃というのはすごかった。
あれをもう一度味わいたくて、私は伊坂幸太郎を読み続けているのかもしれないなあ。



次は「あるキング」ですね!



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