ただならぬ人間関係 ~あさのあつこ「ラスト・イニング」

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あさのあつこの「バッテリー」が一時期とても好きで、ハマっていました。
シリーズ最終巻までは、読んだ。
でもAsukaで漫画化された頃ぐらいから、何となく離れた。
漫画バージョンはそれこそキュン死にしそうなくらいキュートな絵柄で、話もそう悪くはなかったのだけど、原作の佐藤真紀子さんの挿画が私は大好きだったので、あまりイメージを壊したくないなと思って、1巻で読むのをやめたのでした。映画も結局観ずじまいだ。


あさのさんの他の児童向け作品とか、「No.6」も読んでたんだけど、「No.6」は「チューはないだろうチューは…」と思ってしまい、これも途中でやめてしまった。ただ話の続きは気になるので、完結したらもう一度最初から読みたい。でもそのへんは今回の感想には直接関係のないことである。


離れちゃった理由は何なのだろう…と考えてみたが、はっきりとはよくわかりません。
たぶん、しんどくなったのかなぁと思う。
かけ合いのようにコミカルなセリフのやりとりとは裏腹に、渇望や執着、鬱屈や自嘲や嫉妬や、登場人物のそういう思いが、苛烈に激しく書かれていて、消耗する。
なんだかドロッドロしている。児童書なのに。


野球というスポーツに取り憑かれたように、好敵手を求め、パートナーを求め、自分をありのまま出せる場所を求める彼らの姿は、命を削ってるんじゃないかというぐらい、ときには鬼気迫って見える。
消耗するけれどやっぱり心に響いてくるので、好きで、特に最終巻のラストがすごく好きで、別に続きはなくても、ここで終わってしまっていいやと思っていた。
けど、続編の「ラスト・イニング」を読もうという気になったのは、おミズこと瑞垣俊二が大好きだったからなんだろう、やっぱり。


正真正銘の天才バッター・門脇秀悟と幼なじみで、赤ん坊のころからずっと彼の隣にいた瑞垣。
天才の傍の秀才として、瑞垣が選んだ生き方は、本気にならないこと。
真面目な話の時ほど茶化して、相手を煙に巻く。人に本心を悟らせず、決して尻尾を掴ませない。
「愛憎半ば」という表現がふさわしい、門脇に対する感情。
会話の中でことあるごとに和歌を引用したりするのは、「いくら何でもキャラ作りすぎなんじゃ…」と思ったりもするけど、そんな瑞垣の屈折具合が好きで、彼のその後が書かれているというのなら知りたかった。


門脇や他のチームメイトと離れ、野球部のない名門高校に入学した瑞垣。
どうして野球をやめてしまったのか、また一緒に野球をしよう、と周りから言われても軽くかわしていたが、心はいまだ横手二中卒業後の練習試合に捉われていた。
巧と豪のバッテリーを有する、新田東との練習試合に。


友情とか青春とか、そういう耳触りのよい言葉などでは測れない、ただならぬものをここに出てくる人間関係に感じます。
瑞垣と立場は違えど、巧というこれも末恐ろしい天才に、とことん付き合う覚悟を決めた豪がこの先どうなるのかも気になる。


「バッテリー」は児童書だったけど、この「ラスト・イニング」はたぶん一般向けとして出版されたんだろう。
そのせいもあるのか、どう考えても常用語じゃないだろうという難しい言葉遣いがやたら目立つ。
瑞垣が語り手だから、わざとそうしてるのかとも思ったけど、どうにも違和感を感じてしまう。
もっとわかりやすい言葉でいいのに、わざわざ難しくする必要があるんだろうか? と思った。
だって、どんなに頭がよくて本をよく読んでいて博識だからといって、高校一年生だよ瑞垣は…。
あ、もしかして私がアホなだけなんでしょうか。
とはいえ、読みにくいわけでは全然なく、するすると読めます。ほとんど一気読みだった。


そういえば昔、NHK-FMでバッテリーのラジオドラマをやっていたのを思い出した。
あれはなかなか出来が良かったな、特に主役二人の少年声がとても良かった…と思って調べてみたら、巧役は宮野真守さんだったのだと初めて知った。
利央の、環先輩の声の人やん! 劇団ひまわりの人だったのかぁ…。もう一回聴きたくなったなー。

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