語りえないもの伝えたいこと ~原案・脚本 ヤン・イクチュン/著者 相田冬二「息もできない」




「そうではないでしょう、私たちの言葉は。心から伝えたい、どうにか伝えたい、もしかしたら伝わるかもしれない、いや伝わらない可能性のほうが高い、どうせ伝わるもんか、……さまざまな段階で揺れ動きながら書き、その結果伝わってない、たまに伝わったようで誤解だらけ、そういうのが言葉でしょう?」

(枡野浩一『一人で始める短歌入門』「あとがきにかえて」より)



「息もできない」を読みながら、並行してお風呂で「一人で始める短歌入門」を読み返してたんです。濡れないように工夫しながら。
何の関連性もない二冊なのに、ビビッとはまり合う部分があったりするのが面白い。偶然なのか必然なのかわからないけど、ほんとに不思議だと思う。
そんなふうに思う一節が枡野さんの本にあったので、引用してみた。



「息もできない」は、電車の中で読みました。毎日往復20分、通勤電車の中でゆっくりちょっとずつ。
身が入らなくて、なかなか読み進められない本もあります。逆に、一気に読み切りたくて細切れに読むのがもったいない本も。
これはそのどちらでもなくて、まさに電車の中みたいに、人の大勢いるところで読む本だったと思う。なんとなく。
だからわざと、家では読まないようにしていた。



たまたま行き合った、大勢の見知らぬ人々と電車に揺られている。一人のときもあるし、誰かと一緒のときもある。本を読むのは一人のときだ。
この空間の中に私を知ってる人は一人もいない、ものすごく独りだ、と思うときもあるし、見ず知らずなのに周りの人たちをとても近くに感じるときもある。
この違いは一体何なんだろう、というようなことを考えるともなしに考えながら読むのに適していた物語だったのですよ。何が言いたいのかあんまりよくわからないけど。



『映画は、「語りえないこと」を語るメディアだ』と、あとがきで相田さんはおっしゃっています。
そしてこれは、映画の脚本を小説にしたノベライズです。
「言葉で」「語りえない」ことを表現できるものが、映画なんですよね。
だとすれば、それを「言葉のみで」「語りなおす」ノベライズに意義はあるのか?



私はあると思います。
ノベライズは、書き手のその物語に対するアンサーであったり、ラブレターであったりするんだと思う。
商業的な背景もきっとあるんだろうけど、大前提として、それが正しいノベライズの形なんだと思う。
だから、相田さんが「これが真の処女作かもしれない」とおっしゃっているのも、奥付の肩書きが(おそらく初めて)「著者」となっているのも、もっともであることのような気がします。



相田さんというフィルターを通して私はこの物語に触れて、相田さんの伝えたいことを確かに受け取ったように思う。
もちろんそれが、本当に相田さんの伝えたかったことなのかどうかはわからないけれど。ここから先は私個人の物語だ。
原作映画は観るかもしれないし観ないかもしれないけど(今のところ近所で公開されてないので観られないけど…)、
これを読もうと思って、読むことができて、本当によかったと思います。



※ストーリーについてはあえて何も言わずにおきたくて、上ではまったく触れておりませんが、
どんな内容か気になる方は、アマゾンの試し読みや映画公式サイトをご参照ください。



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